「Web3は人を自由にする」。この言葉は、分散化を掲げる運動のなかで繰り返されてきた。仲介者を排除し、個人がお金もデータもアイデンティティも自分で管理する世界。その理想は魅力的だが、果たしてどこまで実現可能なのか。そして、どのような代償が伴うのか。Web3と個人の自由の関係を、理想と現実の両面から考えてみたい。

じわじわと失われてきたデジタルの自律

私たちの日常は、知らず知らずのうちに一握りの企業への依存で成り立っている。Googleが情報へのアクセスを左右し、AppleとGoogleがスマホにインストールできるアプリを決め、銀行が送金の可否を握り、SNSが発言の届く範囲を制御し、クラウドサービスがアプリの稼働を支配する。これらはいずれも、個人の行動を制限しうる「関所」として機能してきた。正当な理由で行使される場合もあれば、そうでない場合もある。

こうした状況は、誰かの陰謀によって生まれたわけではない。中央集権型のシステムは規模の効率が働くため、自然に力を集中させる。最も便利なサービスが最も多くのユーザーを集め、ネットワーク効果によってその支配が固定される。利用者は合理的に「一番便利なもの」を選ぶが、その結果として自律性を少しずつ手渡していく。

自己主権というフレームワーク

Web3が提唱する「自己主権」(自分のデジタルな存在を、特定の組織に依存せず自分で管理する考え方)は、こうした状況への応答として生まれた。自己主権は「あらゆる制度を拒否せよ」という無政府主義ではない。「関係は自発的であるべきであり、もう役に立たないと思えば離脱できるべきだ」という原則である。

この原則は、いくつかの領域で具体化される。

アイデンティティの自己主権。 GoogleやFacebookでログインする代わりに、自分が管理する暗号鍵で認証する。学歴や資格の証明も、余計な個人情報を明かすことなく必要な情報だけを選んで提示できる。何を、誰に、どれだけの期間開示するかを、自分で決められる。

金融の自己主権。 銀行口座や決済事業者なしに、暗号資産ウォレットひとつで世界中から送金を受け、融資市場にアクセスし、投資に参加できる。銀行口座を持たない(あるいは持てない)世界10億人以上の人にとって、これは理論上の話ではなく、生活を変えうる力を持つ。

データの自己主権。 分散型のストレージや暗号化されたメッセージング、ゼロ知識証明(情報を明かさずに「知っていること」を証明できる技術)を使えば、監視や広告のために個人データを差し出す必要がなくなる。「無料サービスの対価として個人データを渡す」というビジネスモデルが、強制ではなく選択肢のひとつになる。

自律が拡がっている領域

Web3がもたらす自律の拡大は、すでにいくつかの分野で目に見える形をとっている。

金融面の自律が最も進んでいる。資本規制やハイパーインフレ、銀行システムの崩壊に苦しむ国々では、暗号通貨が文字通りのライフラインになっている。政治的危機で銀行が停止したとき、Bitcoinやステーブルコイン(価格が安定するよう設計された暗号通貨)が唯一の金融手段となった事例は複数ある。

創作活動の自律も広がりつつある。NFTとして音楽を販売するミュージシャンは、ストリーミングサービス経由よりもはるかに大きな収益を手元に残せる。分散型プラットフォームで記事を公開するライターは、コンテンツと読者の関係を自分で管理できる。規模はまだ小さいが、「仲介者なしの創作活動」が技術的に可能であることは示されている。

組織の自律はDAO(分散型自治組織)を通じて実現しつつある。従来の会社組織を設立しなくても、スマートコントラクトを使って資金を共有し、収益を分配し、集団で意思決定ができる。法的な管轄の壁を超えた国際的な共同作業では、特に有効だ。

政治的な自律は最もデリケートな領域である。匿名での内部告発、検閲への抵抗、政治的寄付の匿名化は、権威主義的な体制下では大きな価値を持つ。しかし同時に、説明責任やマネーロンダリング、不正資金の問題もはらんでいる。

自律には限界がある

Web3がすべての人の自律を無条件に広げるかといえば、そうではない。

忘れられない過去。 ブロックチェーンの記録は消えない。透明性は貴重だが、「やり直し」の余地も消える。過去の金融上の失敗がブロックチェーン上に永久に残る。従来のシステムでは時間とともに記録が封印されたり忘れ去られたりするが、パブリックチェーンにはその逃げ道がない。

技術の壁が生む新たな依存。 自己主権は高い技術リテラシーを前提とする。実際のところ、大多数の人はウォレットの提供者やインターフェースの開発者に頼らざるを得ず、結局「新しい仲介者」が生まれている。自律は理論上は誰にでも開かれているが、技術に不慣れな人にとっては事実上アクセス不能だ。

富の集中がもたらす力の偏り。 トークンの大量保有者が投票を支配し、少数のバリデータ(取引の承認者)がネットワークを動かし、開発チームが方針を握る。インフラが分散していても、影響力の平等が自動的に実現するわけではない。

規制の現実。 政府は暗号資産に対して規制を強めつつある。資本逃避や脱税、制裁回避への懸念から、ウォレットの利用やDeFi(分散型金融)への参加に制限がかかる可能性がある。Web3がもたらす自律は政治的現実のなかに存在するのであって、その外にあるわけではない。

自律のパラドックス

ここに興味深い逆説がある。個人の自由を最大化するために設計されたシステムが、維持するためには集団的な関与を必要とするのだ。ブロックチェーンの自律性はコミュニティ次第である。バリデータが中央集権化し、意思決定が特定のグループに占有され、開発がひとつのチームに依存すれば、個々のユーザーの自律は形骸化する。

つまり、分散型システムにおける個人の自由は、「みんなが参加し続けること」に依存している。ユーザーは意思決定に参加し、ノードを運用し、開発に貢献し、権力の集中に目を光らせなければならない。しかし大多数の人は、そうした関与よりも便利さを選ぶ。自律を守るためのコストは「参加」であり、リスクは「大多数が参加しないこと」なのだ。

この矛盾を現実的に解くには、「自律のオプションは用意するが、日常的な利用では求めない」という抽象化の層が必要だろう。完全に自分で管理したい人はノードを運用し、鍵を管理し、投票に参加する。便利さを優先したい人はその責任をサービスに委ねる。ただし、いつでもその関係から離脱できる自由だけは、全員に確保される。

「保険」としての自律

Web3と個人の自律を考えるうえで、もっとも実りのある捉え方は、自律をインフラとして、つまり「必要な人のために存在する能力」として理解することだろう。

すべての人が検閲に強いお金を必要としているわけではない。しかし、政治的弾圧を受ける活動家、紛争地の難民、経済が破綻した国の市民にとっては、それが命綱になる。すべての人が自己主権型のアイデンティティを必要としているわけではない。しかし、敵対的な機関にアイデンティティを管理されている人にとっては、不可欠なものだ。

自律のインフラを整えるとは、大多数の人が普段は従来の中央集権型サービスを使うとしても、分散型の選択肢が「存在し、機能している」状態を保つことにほかならない。価値は全員が使うことではなく、全員が使える状態にあることにある。中央集権型のシステムが機能しなくなったとき、あるいは敵対的になったとき、代わりが存在するという事実そのものが、保険として機能する。

まとめ

  • Web3と個人の自律は、自己主権(アイデンティティ・金融・データを自分で管理する力)を通じて結びつく
  • 金融、創作、組織、政治の各領域で自律の拡大が見え始めており、金融面が最も進んでいる
  • 消えない記録、技術の壁、富の偏り、規制の現実が、自律の拡大を制約する
  • 自律のパラドックス:個人の自由を守るには集団の参加が必要だが、大多数は便利さを選ぶ
  • 自律は「全員への要件」ではなく「必要な人に利用可能な能力」、つまりインフラとして理解するのが現実的だ

Web3と個人の自律の関係は、「何人が日常的に分散型の代替手段を使っているか」ではなく、「中央集権型のシステムが機能しなくなったとき、それらが使える状態にあるか」で評価されるべきだ。自律のインフラは保険と同じで、常時使うことではなく、いつでも使えることに価値がある。Web3に携わる者の使命は、自律が最も切実に必要とされるとき、技術がそこにあるようにすることである。