「プラットフォーム後の社会」という考え方に注目が集まっている。GAFAに代表される巨大プラットフォームの構造的な問題が、もはや見過ごせなくなったからである。アルゴリズムによる情報操作、個人データの搾取――中央集権的なプラットフォームは、利用者やクリエイターに犠牲を強いながら、株主だけが潤う仕組みを作り上げてきた。
プラットフォームの「劣化」という必然
プラットフォーム企業は、決まったパターンで運営される。最初はベンチャー資金を使ってユーザーに手厚いサービスを提供し、市場に参入する。しかし十分なユーザーを獲得すると、今度は自分たちが育てたエコシステムから徹底的に利益を吸い上げ始める。作家のコリイ・ドクトロウはこの現象を「enshittification(劣化)」と名付けた。SNSからライドシェア、ネット通販まで、あらゆる大手プラットフォームでこのパターンが繰り返されている。
これは経営者の善悪の問題ではなく、構造的な問題である。ユーザー数の伸びが鈍化すると、プラットフォームは収益を伸ばすために限られた手段に頼るしかない。広告を増やす。クリエイターへの報酬を削る。自然な表示回数を減らして有料広告を強制する。個人データをさらに収集する。すべての大手プラットフォームは、この道筋のどこかにいる。
実際の数字を見れば一目瞭然である。Facebookのビジネスページの自然な表示回数は、2012年の約16%から2023年には2%未満に激減した。YouTubeの収益配分は表面上は変わっていないが、アルゴリズムの変更により「視聴者に役立つ動画」ではなく「視聴時間が長い動画」が優遇されるようになった。Amazonの出品ページは広告で埋め尽くされ、自然な商品発見はほぼ機能しなくなっている。
これらは異常事態ではない。プラットフォーム、アルゴリズム、データ、参加条件のすべてを一社が握るという設計の、必然的な帰結にほかならない。
「プラットフォーム後」とは何を意味するか
プラットフォーム後の社会とは、仲介サービスのないインターネットを指すわけではない。仲介の仕組みが、特定企業の独占ではなく、誰でも利用できるオープンな通信規格(プロトコル)として機能するインターネットのことである。この違いは決定的に重要だ。
プロトコルとは、通信のルールを定めるものであり、通信そのものを支配するものではない。メールがわかりやすい例である。誰でもメールサーバーを立てられるし、メールアプリも自由に作れる。メールを「所有」する企業はどこにもない。だからこそメールは50年間生き残り、個々のプラットフォームは興亡を繰り返してきたのである。
プラットフォーム後の社会は、この原理を現在プラットフォーム企業が独占している領域――SNS、コンテンツ配信、オンライン決済――に広げようとする試みである。Facebookの代わりに誰にも支配されないプロトコルでつながり、YouTubeの代わりにオープンな仕組みで動画を届ける世界だ。
Farcaster(ファーキャスター)というプロジェクトがこのモデルを実証している。プロトコルが投稿の仕組みを定義するが、その上にアプリを作るのは誰でもよい。ユーザーは自分のアカウントと人間関係のデータを自分で持つ。開発者は「ユーザーを囲い込めるかどうか」ではなく「使い心地の良さ」で競争する。あるアプリが潰れてもプロトコル自体は存続する。
プラットフォーム後の経済の仕組み
プラットフォーム後の社会がもたらす経済への影響は大きい。現在のプラットフォーム経済は、取引の「関所」にいるプラットフォーム企業に価値を集中させる。それに対し、プロトコル型の経済は参加者のネットワーク全体に価値を行き渡らせる。
具体的にはこういうことである。30〜50%の手数料を取る仲介企業がいなくなるため、クリエイターの手取りが増える。利用者の注目やデータを勝手に換金する存在がいないため、ユーザーは「商品」として扱われない。サービス提供者は、プラットフォームにえこひいきされるかどうかではなく、純粋に品質で競い合うことになる。
トークンを使った報酬の仕組みが、この構造を経済的に成り立たせる。プロトコルは初期の参加者に報いたり、共有の資金庫から開発費を出したりできる。利益を最大化する企業を中心に据える必要がないのだ。
分散型取引所のUniswap(ユニスワップ)がこの仕組みの好例である。数十億ドル規模の取引を仲介し、流動性の提供者に手数料を分配し、トークン保有者が方針を決める。中央集権的な取引所が手数料を抜き取ることもない。プロトコルそのものは利益を独占しない。価値は、実際にサービスを提供している参加者のもとに流れる。
社会と政治への影響
プラットフォーム後の社会は、コミュニティの運営や自治のあり方にも大きな影響を及ぼす。現在のプラットフォームは、事実上の「公共の広場」でありながら、あくまで民間企業として運営されている。企業の商業的な判断基準で、市民的な議論が管理されるという矛盾が生じているのである。
分散型の仕組みでは、投稿の管理はコミュニティ単位に委ねられる。プロトコル上の各コミュニティが、利用者の選ぶアプリを通じて独自のルールを設けられる。単一のプラットフォームがなければ、単一のルールもない。これはコンテンツ管理の問題をなくすのではなく、企業の会議室からコミュニティの手へと移すということである。
政治広告の問題、怒りを増幅するアルゴリズム、情報の偏りも、広告収入に頼るプラットフォームの構造がもたらしたものである。ビジネスモデルが変われば、動機も変わる。プラットフォーム後の社会が偽情報を根絶することはないだろう。しかし、社会的な悪影響を顧みずにユーザーの関心を搾り取る経済的なエンジンを取り除くことにはなる。
課題と今後の見通し
プラットフォーム後の社会への移行には、正直に認めなければならない困難がいくつもある。
ネットワーク効果は、IT業界で最も強力な参入障壁であり続ける。人は、みんなが使っているからプラットフォームを使う。この循環を断ち切るには、技術的な優位性だけでなく、大勢が一斉に乗り換える必要がある。分散型の仕組みでは、そうした協調がそもそも難しい。
使い勝手の差も障壁になる。現在の分散型サービスは概して、従来型のサービスよりも高い技術知識を要求する。ウォレットの管理、秘密鍵の保管、取引手数料、プロトコルの操作方法――乗り換えるだけの明確な理由がなければ、一般のユーザーには受け入れがたい手間である。
規制の枠組みも問題だ。既存の法律は、責任を負える「管理者」の存在を前提に作られている。データ保護、コンテンツ管理、金融サービス、消費者保護に関する法律のすべてが、対象となる責任主体を想定している。分散型プロトコルはこの前提を崩すが、代わりとなる法的遵守の道筋を十分に示せてはいない。
トークン投機に頼らない経済的な持続可能性も、まだ証明されていない。プロトコル経済がトークンの値上がり期待なしに、大規模な開発やインフラを維持できるのか。この問いに対する答えは出ていない。
それでも、つくり手たちはすでに動いている。プラットフォーム後の社会は複数のトレンドが交差するところから生まれるだろう。成熟する分散型インフラ、プラットフォームの「劣化」に対するユーザーの不満の高まり、巨大テック企業への規制強化、データの所有権やデジタルな権利に対する世代ごとの意識の変化。分散型のSNSはユーザーを獲得しつつある。DeFiは金融の仲介がプラットフォーム企業なしでも成り立つことを証明した。分散型ストレージはクラウド寡占への対抗手段を提示している。あらゆる層でプロトコルを軸にした作り直しが進んでいる。
時期は読めないが、方向性は見えている。プラットフォームの時代が明日終わるわけではないが、その時代を支えてきた条件――潤沢な資金、甘い規制、監視型資本主義に対するユーザーの黙認――は崩れ始めている。
重要ポイント
- 巨大プラットフォームは補助・成長・搾取という決まったサイクルを辿り、ユーザーとクリエイターの価値を劣化させる
- プラットフォーム後の社会は、独占的なサービスを誰でも使えるオープンなプロトコルに置き換える
- プロトコル型の経済は「関所」に価値を集めず、サービスを実際に提供する参加者に還元する
- 分散型のSNS・金融・インフラは、このモデルが技術的に実現可能であることを証明しつつある
- ネットワーク効果、使い勝手の差、規制の不確かさが依然として大きな移行障壁となっている
- この移行は一夜にして起きるものではなく、領域ごとに段階的に進む
プラットフォーム後の社会は、インターネット本来の設計思想――オープンなプロトコル、ユーザー自身の主体性、分散された管理――を、プラットフォーム企業が今支配している領域に改めて適用する試みにほかならない。この移行に5年かかるか20年かかるかはわからないが、それを後押しする構造的な圧力は強まる一方である。