「ゲームで稼ぐ」の現実は、賛成派も批判派も想像していなかったほど複雑な様相を呈している。ブロックチェーンを使ったゲームで生活費を稼げる――そんな革命的な触れ込みで始まったPlay-to-Earnは、爆発的な成長、壊滅的な崩壊、そして慎重な再出発というサイクルをたどってきた。何が間違っていたのかを正しく理解することは、最終的に何がうまくいくのかを考えるために避けて通れない。
Axie Infinityという大実験
Play-to-Earnの現実を語るうえで、このジャンルを定義づけたゲーム、Axie Infinityを外すことはできない。2021年後半の最盛期には、約300万人がデイリーアクティブプレイヤーとして参加し、月間収益は2億ドルを超え、フィリピンではゲームで最低賃金以上を稼ぐ人々が現れるほどの経済圏が生まれた。
物語は魅力的だった。「スカラーシップ」と呼ばれる仕組みでは、NFTの所有者が参入コストを払えないプレイヤーにゲーム用の資産を貸し出す。それを軸に、管理者、ギルド(プレイヤーの組合)、プレイヤーからなる一大エコシステムが組み上がった。フィリピンの家庭がAxieの収入で住宅ローンを返済しているというニュースが広まり、Play-to-Earnは「新しい経済参加のかたち」だという印象が定着した。
しかし実態は、見た目ほど頑健ではなかった。Axie Infinityの経済は、新規プレイヤーが既存プレイヤーの持つNFT資産を購入し続けることで成り立っていた。ゲーム内で稼げるSLP(Smooth Love Potion)トークンの需要を支えていたのは、新たなプレイヤーの参入だけだった。成長が鈍化した途端にSLPの価格は崩壊し――最高値から99%以上の下落――数百万人を支えていた経済は瓦解した。
2022年3月のRoninブリッジへのハッキング(6億ドル超のユーザー資金が流出)は衰退を加速させたが、原因ではなかった。根本的な経済モデルは、セキュリティ事故がなくても持続不可能だったのだ。
「お金はどこから来るのか」という問い
Play-to-Earnが直面する構造的な課題の核心は、一見単純な問いに集約される。「稼いだお金は、いったいどこから出ているのか」。従来のゲームでは、プレイヤーが楽しさの対価としてお金を払う。価値の流れは明快だ。
Play-to-Earnはこの流れを逆転させる。プレイヤーがお金を稼いでいるなら、誰かがそのお金を出していなければならない。広告やスポンサー、エコシステム全体からの補助金といった外部の収入源がなければ、プレイヤーの稼ぎの出どころは他のプレイヤーしかない。つまり、早く始めた人が後から来た人の犠牲の上に利益を得る、ゼロサム(全体としてプラスマイナスゼロ)の構造になる。ネズミ講との類似は表面的なものではなく、実際の価値の流れを反映している。
持続可能な「ゲームで稼ぐ」モデルには、外部から経済に価値を持ち込むことでこのゼロサム構造を打破する仕組みが不可欠だ。広告収入、ブランド提携、スポンサー付きのeスポーツ賞金、ゲームをまたいだ資産の共有など、手段はいくつか考えられる。しかしいずれも、第一世代のPlay-to-Earnが約束したような収入水準を支えるだけの規模にはまだ達していない。
「デジタル小作人」の問題
Play-to-Earnの現実の中で最も居心地の悪い側面は、ギルド型のゲーム経済が生み出した労働の構図だ。Axie Infinityなどで広まったスカラーシップの仕組みでは、資産の所有者がプレイヤーの稼ぎの大部分――通常30〜50%――を取り分として抜く構造が生まれた。
これを「デジタル版の小作制度」と呼ばずにいるのは難しい。途上国のプレイヤーが単調なゲーム作業を何時間もこなし、自分が生み出した価値の一部しか受け取れない。一方で、資産の所有者――しばしば先進国に住む人々――は一切プレイせずに収益の大半を手にした。
トークン価格が崩壊したとき、負担は最も立場の弱いプレイヤーに偏った。資産の所有者はNFTを売って撤退できた。元手を持たないプレイヤーには、売るべき資産も、何ヶ月もの作業から得られる転用可能なスキルもなかった。経済的な力を与えるという約束が、搾取の仕組みに変わったのだ。
すべてのギルド構造が搾取的だとか、Play-to-Earn自体が本質的に有害だという話ではない。しかし、現実を正直に見れば、これらの経済の第一世代が、解決すると唱えていた労働の格差を再現し、場合によっては強化してしまったことは認めなければならない。
「稼ぐゲーム」から「楽しくて稼げるゲーム」へ
第一波の失敗に対する業界の応答は、「Play-to-Earn(遊んで稼ぐ)」から「Play-and-Earn(遊んで、ついでに稼げる)」への転換だった。言葉の違い以上に、構造的な転換である。Play-and-Earnでは、収益は参加の主目的ではなく、本当に楽しいゲーム体験の副産物として位置づけられる。
この転換は根本的な教訓を認めている。ゲームはまず面白くなければならない。稼ぎが唯一の動機であれば、ゲームは労働になる。そして労働として賃金を比較されれば、最も低賃金の国を除くすべてで既存の仕事に負ける。
IlluviumやBig Time、Star Atlasといったゲームがこの新しい方向を代表し、制作品質、物語の厚み、それ自体で成り立つゲームの仕組みに大きく投資している。トークン経済も、際限なく報酬をばらまくのではなく、資産の希少性と実用性を軸に設計されている。面白いと感じたプレイヤーが自然にゲーム内経済に参加し、ネズミ講的な成長に頼らずにゲーム内資産への需要が生まれる――というのが狙いだ。
ただし初期の結果はまだらだ。制作品質は目に見えて向上しているが、プレイヤーの定着率と経済の持続性はAxie Infinityが達成した規模ではまだ証明されていない。Play-and-Earnモデルは「実証された現実」というより「有望な仮説」にとどまっている。
持続可能なブロックチェーンゲームとは
Play-to-Earnの現実が何かを教えてくれるとすれば、持続可能なブロックチェーンゲーム経済は複数の条件を同時に満たさなければならないということだ。稼げなくてもプレイしたいと思えるほど面白いこと。プレイヤーの収益を支える外部からの収入源があること。トークン設計が際限のない値崩れと投機的な操作に耐えられること。ゲーム内資産が投機的な価値ではなく本当の使い道を提供すること。
いくつかの設計パターンが有望に見える。ゲームの有利不利には影響せず、見た目の変更だけを行う装飾系NFTは、お金目的ではなく自己表現の欲求から生まれる需要を作り出す。これは従来のゲームで持続性が実証されたフリープレイモデルと同じ構造だ。たとえばFortniteはPlay-to-Earn要素なしに装飾アイテムの販売だけで数十億ドルを生み出している。
複数のゲームで使える共通資産は、一つのタイトルを超えた使い道を生む。5つの異なるゲームで使えるキャラクターの見た目は、一つのプラットフォームだけで使えるものより本質的に価値が高い。ゲーム間での資産共有は技術的に難しいが、ブロックチェーンがゲーム業界に持ち込む数少ない本物の利点の一つだ。
外部資金による大会やリーグ戦は、トークンの大量発行なしに稼ぐ機会を生み出す。eスポーツはスポンサーシップと放映権を通じて競技ゲームが大きな収益を生めることをすでに証明しており、このモデルをブロックチェーンゲームに応用すれば、「全員が稼げる」という構造的に無理のある約束を避けられる。
「誰のためのゲームか」という問い
正直に向き合うべきもう一つの事実がある。Play-to-Earnゲームの参加者は、圧倒的にフィリピン、ベネズエラ、インドネシア、ブラジルなど途上国に偏っていた。これらの国のプレイヤーにとっては、暗号資産でのわずかな収入でも意味のある所得になりうる。
これはPlay-to-Earnにとって最も強い論拠であると同時に、最も厄介な側面でもある。一方では、限られた選択肢しかない人々に収入の機会を提供することには真の価値がある。もう一方では、主に新興国の低賃金労働市場として機能するゲーム経済を築くことは、「ゲーム」という言葉が何を覆い隠しているのかについて、深刻な倫理的問いを突きつける。
この分野で最も誠実な開発者は、この矛盾と向き合っている。地域を問わず本当に楽しめる体験を提供しつつ、経済発展の代わりではなくあくまで補助として収入の機会を開く。そうした経済設計を模索している。
まとめ
- Play-to-Earnの現実は、Axie Infinityのような第一世代モデルが、新規プレイヤーの継続的な流入に依存する持続不可能な経済だったことを明らかにした
- 構造的な問題の核心は「お金の出どころ」にある。外部からの収入がなければ、プレイヤーの稼ぎは他のプレイヤーから出るゼロサム構造になる
- ギルドのスカラーシップモデルは、経済参加の拡大を掲げながら、途上国のプレイヤーを対象とした労働搾取のパターンを再現した
- 業界は「Play-and-Earn」へ転換し、まずゲームとしての面白さを優先する方向に進んでいる
- 持続可能なモデルには、装飾アイテム中心の経済、ゲーム間の資産共有、外部資金による大会構造が鍵になる
- 参加者が途上国に偏っていた現実は、これらの経済の本質について倫理的な問いを投げかけている
この数年のPlay-to-Earnの現実は、ブロックチェーンゲーム業界にとって手痛い教訓だった。最初の約束は楽観的すぎ、実装は投機に寄りすぎ、失敗のツケは最もそれを背負えない人々が払った。それでも、「プレイヤーは自分が参加する経済から正当な対価を得るべきだ」という根底の発想には依然として説得力がある。課題は、その発想にふさわしいゲームを実際に作ることだ。